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神戸地方裁判所 平成3年(ワ)917号 判決 1996年2月29日

原告(甲及び乙事件原告)

細田淑

ほか二名

被告(甲事件被告)

保井智子

被告(乙事件被告)

神戸市

主文

一  被告保井智子は、原告ら各自に対し、金二五〇万円及びこれに対する昭和六三年七月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの被告保井智子に対するその余の請求及び被告神戸市に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用中、甲事件に生じた分はこれを六分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告保井智子の負担とし、乙事件に生じた分はすべて原告らの負担とする。

四  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  甲事件

被告保井智子(以下「被告保井」という。)は、原告ら各自に対し、三〇〇万円及びこれに対する昭和六三年七月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  乙事件

被告神戸市は、原告ら各自に対し、五〇〇万円及びこれに対する昭和六三年七月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、訴外亡細田達男(以下「達男」という。)が被告保井運転の普通乗用自動車に追突されて傷害を負い、その後被告神戸市の設置・運営する神戸市立西市民病院(以下「西市民病院」という。)で治療中に死亡したことについて、達男の相続人である原告らが、被告保井に対し民法七〇九条に基づきその損害賠償を請求し、被告神戸市に対し診療契約上の債務不履行ないし不法行為に基づく責任があるとして損害賠償を請求している事案である。

一  争いのない事実等

1  本件事故の発生

(一) 日時 昭和六三年五月二〇日午前八時二〇分頃

(二) 場所 神戸市中央区相生町四丁目六番八号先交差点付近道路(以下「本件道路」という。)

(三) 加害車 被告保井運転の普通乗用自動車(以下「被告車」という。)

(四) 被害車 達男運転の普通乗用自動車(以下「原告車」という。)

(五) 態様 達男が本件道路上において赤信号に従い原告車を停止中、被告保井運転の被告車に追突された。

2  達男の受傷及び死亡

(一) 達男は、本件事故により、外傷性頸部症候群、頭部外傷第Ⅰ型の傷害を受けた(甲一、六)。

(二) 達男は、昭和六三年七月四日午後四時三〇分、西市民病院において死亡した。

3  身分関係

原告らは、達男の子である。

4  被告保井の責任

被告保井は、被告車を運転し、原告車の後方に停止するに当たり、狼狽してブレーキペタルとアクセルペタルを間違え、被告車を加速して前方に暴走させた過失により、本件事故を発生させたものであるから、民法七〇九条により後記損害を賠償する責任がある(乙一ないし四、五の一ないし五、六の一ないし六)。

5  被告神戸市

亡達男は、昭和六三年六月三日夜、左片麻痺、頭痛の症状を呈し、同日午後一一時一〇分頃、西市民病院に救急入院した。

右病院は、以後、達男の死亡するまで、同人との診療契約に従い、同人の治療に当たつた。

二  争点

1  本件事故と達男の死亡との因果関係並びに寄与の程度

原告らは、達男は、本件事故当時、肝硬変、糖尿病、狭心症の持病があつたものの、これらは死の転帰をたどるほど重い症状を呈しておらず、本件事故の際に頭部に衝撃を受けて発生した硬膜下血腫の除去手術が行われたが、持病の肝硬変による血液凝固機能の低下のため、出血が完全には停止せず、肺炎、肺梗塞を併発して死亡したもので、右血腫除去後の出血継続が達男の死の重要な要因となつているから、本件事故と達男の死亡との間には相当因果関係がある旨主張する。

被告保井は、本件事故は追突事故であるところ、その衝撃の程度は軽微であり、達男の頭部傷害は頭部外傷により発生する急性硬膜下血腫ではなく、慢性硬膜下血腫であつて頭部外傷によるものではないことは明らかで、肝硬変による血小板減少と飲酒歴が主たる原因であり、仮に交通事故による外傷が慢性硬膜下血腫発生の原因に寄与していたとしても、被告神戸市の医療過誤も原因となつており、その寄与率は極めて低いものである旨主張する。

2  被告神戸市の責任

原告らは、西市民病院は、救急入院した達男がDIC(播種性血管内凝固症候群)を併発し、全身性出血状態に陥つたのに、当時の医療水準からみて当然に要請されるDICに対する治療行為であるヘパリンの投与等を怠り、かつDICには禁忌とされる血小板のみの補充投与(輸血)をし、その結果達男の病状を悪化させて死に至らせたものであるから、同病院の診療上の過誤によつて発生した達男の死亡につき、損害賠償責任を負う旨主張する。

被告神戸市は、達男の病状に応じた治療をしており、同人の治療に関し医療契約上の過誤はなかつたものである。なおDICの可能性もあつたが、その確定診断までには至らなかつたところ、DICの一治療方法であるヘパリン等の投与は、DICでない場合、出血を強め、致命的な大出血を誘発する危険があつたため、避けたものである旨主張する。

3  原告らの損害額

第三争点に対する判断

一  争点1及び2について

1  証拠(甲一ないし六、乙一ないし四、五の一ないし五、六の一ないし六、七、八、九の一、二、一〇ないし一九、二五ないし三三、三五、丙一、二の一、三の一、二、四、丁一、二、証人姫井成、鑑定、弁論の全趣旨)によれば、次の事実を認めることができる。

(一) 本件事故による原告車の損傷の程度

本件事故当時、被告車は時速一五ないし二〇キロメートルの速度で原告車に追突したが、被告車が軽自動車で、原告車がウレタンバンパー使用の普通乗用自動車ということもあつて、右追突により、被告車の前部は相当破損したが、原告車は後部バンパーが少し凹損した程度で、その修理費は七万五五五〇円程度であり、その被害は比較的軽かつた。

(二) 達男の受傷

(1) 達男は、本件事故により、バウンドし、シートで頭を打ち、後頸部に痛みを感じ、吐き気があり、四肢に痺れ感があり、吉田病院で診察を受け、加療約三週間を要する外傷性頸部症候群、頭部外傷Ⅰ型の傷害を受けたとの診断を受けた。なお、頭を打つた後頭部に創傷、痕跡は見当たらなかつた。

(2) 達男は、右治療のため、本件事故当日の他、昭和六三年五月二三日、同月二七日及び同年六月三日、吉田病院に通院した。その際、達男は、特に頭痛を訴えることはなかつた。

右通院により、右症状は漸次軽快し、右六月三日の受診時は、時に左肩、頸部痛があるのみで、頸部運動制限は認められなかつた。

(3) なお、本件事故当時、原告車に同乗していた森田明美は、加療約三週間を要する外傷性頸部症候群等の傷害を受けた。

(三) 達男の持病

(1) 達男は、糖尿病、慢性肝炎のため、昭和五五年一一月から西市民病院に通院し、昭和六〇年一一月頃、肝硬変と診断され、本件事故当時も通院を続けていた。

(2) 本件事故当時、達男は、肝硬変のため脾臓がうつ血してただれた状態となり、その機能が異常に亢進する病変を起こしていた。そのため、過剰に血球を処理してしまい、血小板が異常に減少する症状である血小板減少症を呈しており、易出血(出血傾向)の病態にあつた。

(四) 達男の西市民病院入院及びその後の治療

(1) 達男は、昭和六三年六月三日、頭痛と左上下肢の脱力が発生し、同日午後一一時一〇分西市民病院脳神経外科を受診し、その際のCT検査により右側慢性硬膜下血腫が認められ、入院した。

同病院は、達男が肝硬変による血小板減少症で、出血傾向にあつたため、開頭術による血腫の除去は危険と考え、まず血液凝固障害の改善を図ることを優先させることとし、同月五日午前三時頃、危険の少ない穿孔術(頭骸に穿孔して血腫を吸引する手術)により硬膜下腔の血腫を吸引する緊急手術を施行した。

しかし、達男の硬膜下腔の出血箇所は止まらず、同月五日には再出血し、脳浮腫が進み、脳ヘルニアの症状を呈し、多量の鼻出血もあり、血尿、点状出血斑点等出血傾向が著しかつた。

(2) 西市民病院は、達男の右症状を重篤と受けとめたが、出血傾向が著しかつたため、根本的な治療である開頭術による血腫の除去、止血をすることができなかつた。

そこで、同病院は、保存療法を施しながら、出血傾向を改善するために濃厚血小板及び新鮮凍結血漿を輸血したが、出血傾向の著名な改善が見られなかつた。

そのため、同病院は、DICを併発しているのではないかと疑い、DICを念頭に置いた血小板・血液凝固因子・線溶の検査等各種血液検査をたびたび行い、経過観察をした。

右検査の結果、血小板の数は異常に減少していたが、血液中の凝固因子の異常を示すプロトロンビン時間は概ね正常であり、血漿フイブリノーゲン濃度も概ね正常であつたことや肝硬変を基礎疾患としてDICが発症することが極めて稀であることを考慮して、同病院は達男がDICに罹患したとの確定診断ができなかつた。

そこで、同病院は、達男の出血傾向に対する治療として、従前どおり不足していた血小板及び新鮮血漿の輸血を続けた。

(3) 西市民病院は、達男の血液の凝固異常のもとでは開頭術はできないと判断し、昭和六三年六月一五日、肝硬変、糖尿病、心不全の治療のため内科へ転科させた。

同病院は、脳浮腫、糖尿病、肝硬変、心不全の治療及び血液の凝固障害の補正並びに出血に対する対応をしていたが、硬膜下腔も血腫は増大し、脳浮腫は治まらず、肝臓の症状は悪化の傾向にあり、一進一退の状況であつた。

(4) 達男は、昭和六三年七月四日深夜、血栓により肺動脈が閉塞し、急性の呼吸不全を起こした。

そこで、西市民病院は、血栓を溶解させるためウロキナーゼの緊急投与など種々の救命手段を尽くしたが、達男は、同日午後四時三〇分に死亡した。

(五) 鑑定

(1) 本件鑑定人植村研一浜松医科大学脳神経外科学教授は、達男の死亡に関して次のとおり鑑定し或いは意見を述べた。

ア 達男の本件事故後の硬膜下血腫は、乳幼児と中高年者に好発し、極めて軽微な外傷の後、数週間ないし数か月して比較的急速に神経症状を呈して発症するもので、通常、血腫を除去することにより速やかに治癒するものである。

イ ごく稀に全く外傷がなくても硬膜下血腫が発症すると言われているが、達男は、もともと肝硬変により出血しやすい状態にあり、その上で外傷を受けたため、比較的急速に硬膜下血腫が発症したものと考えられる。従つて、達男の硬膜下血腫は、まさに本件事故によつて発症したものであると断定する以外に考えられない。

ウ 達男は、西市民病院入院後、DICに罹患したが、その発症の時期は、血小板及びフイビリノーゲンの低下等から昭和六三年六月一〇日であり、同病院の達男のカルテにもその旨記載されている。

しかし、同病院は、DICに対する治療を行つていないばかりか、それに逆行する治療を続けた。すなわち、血液凝固亢進状態であるDICの本態に対するヘパリン等の供与が絶対必要条件であるところ、従前どおり血小板等の輸血に終始したもので、明らかに誤つた治療である。

ただ、DICはもともと死亡率の高い病態であるので、たとえヘパリン等の本格的治療がなされたとしても、達男が救命されたとの保証はない。

エ 本件事故がなかつた場合の達男の予後は、同人の肝硬変に大きく左右されるが、主治医の適切な医療の継続と達男の健康管理によつては未だかなりの生存期間が期待されたと思われるが、正確な推定は極めて困難である。

(2) 垣下榮三兵庫医科大学第二内科教授は、被告神戸市から、達男がDICに罹患していた可能性及び西市民病院の治療等に関して鑑定を依頼され、次のとおりの鑑定書(丁一)を作成した。

ア 一般的に肝硬変時のDICの存在については、いろいろの考えがあるが、厚生省のDIC研究班の診断基準をもとに達男がDICに罹患していたか否かを検討すると、昭和六三年六月一四日の検査値が唯一DIC罹患の値を示すが、他の時期では疑い或いはそれ以下の値である。

しかも、DICと診断できた時期でも、特に全身状態、検査上の変化は見られず、この時にDICの治療をせず、DICの材料になるものを輸柱したための病状増悪は明確でなく、その後のDICに関する検査値ではDICを示唆するものではないから、達男を一時的にDICに罹患したと診断できたかもしれないが、全体としてはDICの疑い或いはそれ以下の状態とみるべきである。

イ DICの治療としては、その原因となる疾患を除くことが根本的治療となるが、それができない場合、DICによる落命を防ぐため凝固亢進状態、線溶亢進状態の抑制を図る必要がある。

しかし、肝機能不全状態での抗凝固剤の使用は極めて難しく、特にヘパリンの使用は大出血を招く可能性が高くて危険であり、使用されないのが普通である。達男のようなDICの疑いの程度では、あくまでもDIC罹患の確認とそれが病状の悪化に関係しているという確認がない限り抗凝固剤の投与はできず、特に原病自体の増悪時期で、その疾患の回復がほぼ見込めないものである限り、あえて危険を伴う処置を行うべきではない。

西市民病院の抗凝固療法に対して慎重に対応したことは当然のことと思われる。

2  右認定等によれば、植村鑑定のとおり、本件事故による達男の頭部への衝撃は軽微であるが、達男の本件事故後の硬膜下血腫は、乳幼児と中高年者に好発し、極めて軽微な外傷の後、数週間ないし数か月して比較的急速に神経症状を呈して発症するものであるところ、達男は、もともと肝硬変により出血しやすい状態にあり、その上で外傷を受けたため、比較的急速に硬膜下血腫が発症したものと考えられ、達男の硬膜下血腫は、本件事故によつて発症したものであると認めるのが相当であり、右認定を左右するに足りる証拠はない。

また、後記のとおり、西市民病院の治療は相当であり、診療契約上の不履行ないしは不法行為もないから、本件事故と達男の死亡との間に相当因果関係があるというべきである。

ただ、本件事故は軽微で、通常は三週間程度の治療で治癒するとの前記認定及び達男の肝硬変等の持病等諸般の事情を考慮すると、達男の右持病等が達男の死亡に相当強く寄与しているというべきで、その他本件に現れた一切の事情を考慮のうえ、達男の持病等が達男の死亡に七五パーセント程度寄与しているとみるのが相当である。

二  争点2について

前記認定によれば、垣下教授の意見どおり、達男は、一時的にDICに罹患したと診断できたかもしれないが、全体としてはDICの疑い或いはそれ以下の状態とみるべきであるところ、DICの治療としては、その原因となる疾患を除くことが根本的治療となるが、それができない場合、DICによる落命を防ぐため凝固亢進状態、線溶亢進状態の抑制を図る必要があるが、肝機能不全状態での抗凝固剤の使用は極めて難しく、特にヘパリンの使用は大出血を招く可能性が高くて危険であり、達男のようなDICの疑いの程度では、あくまでもDICの確認とそれが病状の悪化に関係しているという確認がない限り抗凝固剤の投与はするべきでなく、特に達男の原病である肝硬変が増悪時期で、その疾患の回復がほぼ見込めないものであつたから、あえて危険を伴う処置を行うべきではなく、西市民病院の抗凝固療法に対して慎重に対応したことは相当の処置であると認めるのが相当である。

植村教授は、達男は、DICに罹患しており、ヘパリン等の供与が必要であつたと述べるが、前記認定によれば、達男は肝硬変等の持病がかなり悪くてヘパリンの投与は逆に大出血を導きやすく、西市民病院の担当医師が達男のDIC罹患の確定的な診断をすることができなかつた事情も厚生省のDIC研究班の診断基準をもとに達男の検査値をみると、一時的にDIC罹患を診断できたものの、全体としてはDIC罹患の疑い或いはそれ以下であつたことから納得できるうえ、植村教授においても、DICはもともと死亡率の高い病態であるので、たとえへパリン等の本格的治療がなされたとしても達男が救命されたとの保証はないと述べていることなどから、同病院の治療に関し、診療契約上の債務不履行ないしは不法行為があつたことを認めることはできない。

従つて、この点の原告らの主張は採用できない。

三  争点3について

1  慰謝料(請求額・各三〇〇万円) 各二五〇万円

達男が本件事故により、相当期間の入通院治療を受けた後、死亡したことに達男と原告らとの関係その他本件に現れた一切の諸事情を斟酌のうえ、本件事故による達男の死亡等により原告らが受けた精神的慰謝料は各一〇〇〇万円をもつて相当とする。

2  持病による減額

前記のとおり、達男の持病等が同人の死亡に七五パーセント寄与しているから、右各慰謝料につき右割合による減額をすると、その後に原告らが請求できる慰謝料金額は、各二五〇万円をもつて相当とする。

四  まとめ

以上によると、原告らの各請求は、被告保井に対し、各自損害賠償金二五〇万円及びこれに対する達男の死亡の日である昭和六三年七月四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払の限度で理由があるからこれを認容し、同被告に対するその余の請求及び被告神戸市に対する請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとする。

(裁判官 横田勝年)

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